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きまぐれハイキング


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戸塚宿から保土ヶ谷宿へ

JR東海道線戸塚駅→商店街→戸塚宿上方見附跡→冨塚八幡宮→戸塚宿澤邊本陣跡→清源院→吉田大橋→鎌倉ハム発祥の地→益田家のモチノキ→第一屋製パン→平戸果樹の里→品濃一里塚→焼餅坂→境木地蔵→権太坂→旧東海道権太坂改修記念碑→旅籠屋(本金子屋)跡→保土ヶ谷宿本陣跡→金沢横丁道標→JR横須賀線保土ヶ谷駅→宿場そば桑名屋→JR横須賀線保土ヶ谷駅

旧東海道戸塚宿

写真:戸塚宿上方見附跡

JR東海道線戸塚駅を西側に下りたら商店街を歩きます。日立製作所に突き当たったら右に曲がり、すぐに左折すると国道1号線となります。その先のファミリーレストランの前に、戸塚宿上方見附跡を示す案内板と小さなマツがあります。

写真:冨塚八幡宮 芭蕉の句碑

近くの信号のところで国道を渡って少し戻ると、冨塚八幡宮があります。この神社は源頼義・義家父子が社殿を造営したと伝えられる戸塚の総鎮守。「戸塚」の地名の由来となったともいわれる塚や芭蕉の句碑などがあります。

写真:戸塚宿澤邊本陣跡

冨塚八幡宮から戸塚駅方面に歩いていくと、左手に戸塚宿澤邊本陣跡があります。さらに進んで東海道線踏切の手前左手にある清源寺は、徳川家康の側室だった女性が尼となって入寺した寺で、ここにも芭蕉の句碑がありました。

写真:吉田大橋の錦絵

戸塚駅の駅上橋を渡り、再び国道1号線に入ります。善了寺はまるで教会のような洋風の建物が特徴のお寺。柏尾川に架かる吉田大橋は、安藤広重の「東海道五十三次」に描かれたところといわれ、橋の欄干に五十三次の絵が描かれています。

写真:江戸方見附跡

さらに保土ヶ谷方面を目指して歩きます。なぜか江戸方見附跡もファミリーレストランの前にありました。このまま国道1号線をどんどん歩いて行きます。

写真:鎌倉ハム発祥の地

五太夫橋を渡ったら右に曲がり、住宅街に入ります。レンガの古い建物は、鎌倉ハム発祥の地。しばらく歩いていくと、間もなく国道1号線に合流します。

高台の旧街道を歩く

写真:益田家のモチノキ

国道1号線に合流してすぐ、道路右手に巨大な木が見えてきました。かながわの名木100選に選ばれているこの益田家のモチノキは、樹高18メートルで県下最大のモチノキ。300年前からこの街道の旅人を見つめていました。

写真:第一屋製パンベーカリーアウトレット

国道1号線をさらに進みます。途中2回ほどわき道に入り、再度国道と合流すると、高架の上を走る道路が見えてきます。その右手にある第一屋製パン横浜工場の一角にはベーカリーアウトレットがありできたてパンなどが販売されています。第一屋製パン工場前の大きな交差点を左に曲がり、緩やかな坂道を上ります。

写真:高台の旧東海道を歩く

大通りから右にそれ、坂道を上っていきます。振り返ればこれまで歩いてきた戸塚方面への景観が開けています。この付近は平戸果樹の里とよばれる農業地域で、「浜なし」を始めとする果樹のもぎ取りなどを楽しむことができます。農家や民家の間の尾根道を前へ前へと歩いていきます。

写真:品濃一里塚付近の石碑

間もなく道路両側にこんもりとした塚が見えてきたら、それは品濃一里塚(しなのいちりづか)。一里塚は江戸時代に旅人たちの距離の目安に造られた塚で、ここは江戸日本橋から9番目の一里塚です。写真の石碑には左戸塚宿、右保土ヶ谷宿、中央に東海道と文字がかかれています。

写真:境木地蔵前広場
拡大写真

マンションのすぐ脇の焼餅坂を上り、交差点を横断すると、境木地蔵に到着です。その前の広場にはここが相模の国と武蔵野国の国境であることを示す「武相国境之木」があります。ここから右に曲がってしばらく歩き、境木中学校前を左に進みます。

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