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きまぐれハイキング


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鬼子母神、護国寺と洋館めぐり

JR山手線目白駅→目白通り(学習院大学)→鬼子母神→和邑→都電荒川線鬼子母神駅→旧雑司ヶ谷道→南蔵院→面影橋→甘泉園公園→早稲田大学→駒塚橋→関口芭蕉庵→目白通り→音羽通り→鳩山会館→護国寺→雑司が谷旧宣教師館→雑司が谷霊園→南池袋公園→大勝軒→池袋駅

鬼子母神と旧雑司ヶ谷道

写真:山手線目白駅

JR目白駅を降りると、高校生ほどの年代の人たちで改札口はいっぱい。目白駅といえば学習院大学日本女子大学といった学生のまちでもあります。きっとどこかの大学で「オープンキャンパス」などとよばれる受験生のための大学案内が開かれているのでしょう。駅の目の前には1923年(大正12年)に架けられた旧目白橋の高欄がありました。

写真:学習院大学

目白通りに足を向けて歩き始めます。ほとんどの若者たちは駅のすぐ近くにある学習院大学の門から次々とキャンパス内に吸い込まれていきます。人通りの少なくなった目白通りをそのまま歩いていきます。

写真:千登世橋

間もなく明治通りの上に架かる千登世橋(ちとせばし)にぶつかります。ここは目白通りを左に横断して欄干の脇にある階段を下り、明治通りに入ります。すぐ目の前の信号で、道路の右側に渡っておきましょう。

写真:鬼子母神

教育文化センターの前を過ぎたら右側の路地に入ります。突き当たりは旧雑司ヶ谷道。左に進むと間もなく鬼子母神に到着です。

鬼神であった鬼子母神は、釈迦の導きにより安産と子育ての神になったといわれています。境内の一角には樹齢700年を超すといわれる大イチョウがあります。 

写真:音羽屋

鬼子母神のおみやげといえば、ススキで作るミミズクが知られています。今ではたった一人の作り手が1日にやっとひとつ作るという郷土玩具です。その昔、親孝行な娘がお告げに従って作り、のちに名物になったもので、現在は鬼子母神脇にある音羽屋で販売しています。

写真:和邑

やはり鬼子母神近くにあるそばの店、和邑(わむら)は、つなぎを一切使用していない十割そばの店。雑司が谷はそば切り発祥の地といわれ、その歴史を引き継ぐ石臼引き・生粉打ちの店です。

写真:旧雑司ヶ谷道の宿坂

鬼子母神から、都電荒川線鬼子母神駅前を通り、旧雑司ヶ谷道を歩いて目白通りの高田1丁目交差点に出るつもりでしたが、少々道に迷い、不忍通りの日本女子大学付近に出てしまいました。
不忍通りを歩いて目白台2丁目交差点から目白通に入り、高田1丁目信号を左折して写真の宿坂を下ります。

写真:南蔵院

この道は古くからある道だけあって、道路両側には小さな寺院や神社などが並んでいます。なかでも南蔵院は江戸時代の力士の墓が多くあり、幕末の江戸で最後まで官軍と戦った彰義隊士の首塚があることで知られていて、落語の舞台ともなったところです。

甘泉園公園から目白通り、椿山荘前を歩く

写真:都電荒川線面影橋駅

南蔵院からさらに足を進めると、神田川に架かる面影橋となります。目の前の新目白通りの中央部分には、都電の面影橋駅があります。

写真:甘泉園の庭園

新目白通りから路地に入るとすぐに甘泉園公園があります。かつて徳川御三卿の下屋敷が置かれた土地で、甘泉園という名称は園内の湧き水が茶に適していることから名付けられ、園内の水稲荷神社にその碑が残っています。春はつつじ、秋は紅葉が水面に美しい日本庭園です。

写真:早稲田大学大隈重信像と大隈講堂
拡大写真

甘泉園公園を裏側に抜けると、仇討ちで知られる堀部安兵衛の碑がありました。この付近は早稲田大学に近く、大学の関連施設があるところ。グランド坂を通り北門から早稲田大学のキャンパス内にお邪魔します。正面に見える時計台のある大隈講堂を、大隈重信の像がじっと見つめていました。

写真:胸突坂

早稲田大学を正門から出て左に進みます。神田川に架かる駒塚橋を渡り、写真の胸突坂を上ります。坂を上ってすぐ右側には関口芭蕉庵があります。松尾芭蕉は神田上水改修のため水番屋に住んだといわれています。芭蕉を慕う人たちによってその土地に立てられた家が、のちに芭蕉庵とよばれるようになりました。

写真:講談社野間記念館

胸突坂を上りきると目白通りに突き当たります。ここを右に曲がると、すぐ右手に講談社野間記念館があります。この記念館は、講談社創業90周年事業の一環として設立され、講談社の初代社長野間清治が収集した「野間コレクション」と称される美術品が展示されています。

新目白を通りを右手に椿山荘を見ながら歩きます。左手に見える近代的な建物は東京カテドラル聖マリア大聖堂。パイプオルガンの大きさは日本一といわれています。

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