JR大磯駅を出たら右に進み、線路沿いを歩きます。大磯小学校の前にガードがあるので、右に曲がってガードをくぐり、路地を進みます。大磯は日本で始めて海水浴場が開かれたところ。明治18年、大磯に海水浴場を開くことを提案したのが、初代軍医総監、松本順です。
ガードの先の右手にある妙大寺には、この初代軍医総監、松本順の墓があります。彼はこの付近に別荘を構え、晩年を過ごしたそうです。
妙大寺前を通りすぎ、少し道が広くなったら突き当たりの電話ボックスのところで右に曲がります。住宅街の間をまっすぐ進み少し坂を上る道が二俣に分かれています。小さなお地蔵さんの前で右に進み、さらに住宅街を歩いていきます。正面には 紅葉した高麗山とテレビ塔が見えています。
住宅街を進み、道が左上に曲がるところで右に曲がります(大磯園こいずみの看板がある民家前)。すぐに突き当たるので左折してさらに進みます。梅園の間の道を、時折立っている「大磯園こいずみ」の看板を頼りに先に進みます。
少し急な坂を上ると石碑とため池のような池が現れます。ここは余綾(よろぎ)の池とよばれるところで、すぐ隣の建物が「大磯園こいずみ」です。この建物は旅館なのか保養所のようのものなのかよくわかりませんが、いずれにしてもほとんど利用されいないようで、荒れ放題といった様子です。
大磯園こいずみのすぐ脇にある階段を上ると、右側に赤い鳥居の列が見えます。居並ぶ鳥居をくぐって2、30メートルほど進むと、小さな稲荷社がありました。
元の道に戻り山道を進みます。すぐに尾根のようなところに出ますが、ここの案内柱には、右が高田公園や大磯駅方面、直進が楊谷寺(ようこくじ)横穴群となっています。ここは左に曲がって湘南平方面を目指します。
ここから楊谷寺横穴群まではほんの数百メートルの距離なので、いったんはそちらに向かって歩き始めました。しかし、下りの階段が見えてくると、「この階段をまた上るのはいやだな」と思い、引き返してしまいました。
しばらくの間、山道を歩きます。しかし、上り道はそれほど長くは続かず、すぐに写真の分岐点に突き当たります。左に曲がるとすぐに見晴らしのいいところがありました。
さらに歩くと間もなくアスレチックコースなどのある高麗山公園となります。木々の間からは湘南平の象徴ともいえるテレビ塔が見えています。
やがて湘南平に到着です。ここは千畳敷ともよばれるように広場が広がっていて、テレビ塔からは江の島や三浦半島が見渡せます。反対側にある展望台からは丹沢の山並みや相模湾が見渡せます。 湘南平の碑>> 日本山岳会の先駆者、岡野金次郎の碑>>
湘南平を後にしてテレビ塔脇から下ります。来るときに通った分岐点を直進すると、しばらく上り道となり、間もなく浅間山に到着です。写真のベンチの脇には小さな神社の社殿があります。
浅間山からは緩やかな下りの尾根道歩きとなります。しばらく歩いてハイキングコースの左上に上がると、柵で囲まれたヒガンバナの群生地があります。もう一度ハイキングコースに下りて先に進みます。
さらに歩いていくと地獄沢分岐点となります。ここからは緩やかな上り道となります。
手軽にハイキングが楽しめるためでしょうか、かなりたくさんのハイカーと出会いました。ハイカーといっても本格的な装備をした人はむしろ少なく、散歩の延長のような人が多く見られました。
間もなく高麗山の三つの峰のひとつ、八俵山に到着します。ここは室町時代以降たびたび城砦としての役割を果たしたとの説明書きがありましたが、すぐ隣にある空堀に架かる橋は老朽化のため通行止めとなっていて、左下に続く迂回路を進みます。
もうひとつの空堀を越えて上り道をどんどん歩いていきます。
間もなく高麗山(大堂)に到着します。手前には上宮造営所と書かれた小さな看板と、かつて建物があったことを物語る礎石のようなものがあります。その向こうにはベンチと、この地域と高麗との関係を記した看板があります。
高麗山から階段を下り、踊り場のようなところで左に曲がります。横木の階段を下り「けやきの広場」分岐点を過ぎると、間もなく三つ目の峰、東天照に着きます。ここには丸太のベンチがあるだけですが、その少し先には広いベンチがあります。